結局、何も変わらない

 ゴールデンウィークのはじめ、4月の末くらいに実家に行ったら、以前妹1と妹2が共同で使っていた部屋を片付け、父の部屋にするために大掃除をしていた。その部屋は私も一時期使っていたことがあり、そのために私の荷物も押入れからわさわさと出てきて、母に「いるものといらないものを選別して」と言われ、廊下にぺたんと座り込んでいたとき、懐かしい文字のはがきを見つけた。高校1年のときの担任の先生からのものだった。
 東京で働いていたけれど、体を壊し、精神のバランスを崩して帰ってきたのはもう8年前のこと。大好きな仕事に打ち込むことができて、ほんとうに毎日が楽しかったのに、すこしずつ歯車が狂って、気づいたときにはもうひとりではどうしようもない状態だった。失意のうちに戻ってきた当時の私に、先生が送ってくれたはがきだ。「あなたは高校生のころから、何にでも一生懸命取り組んでがんばる人だった。きちんと目標を立ててそれをクリアしていこうとするあなたにとっては、今回のことは本当に残念だったと思う。人はがんばりすぎだと言うかもしれないけれど、がんばることは何も恥ずかしいことではない。今はきちんと休んで、今度はちょっとだけ周りを見る余裕も持って、また一生懸命やりなさい。応援しています」というような内容だった。8年たってから読んでも、まだ涙が出そうだった。
 東京で通っていた病院の先生に、「あなたの働き方はまるで戦後のモーレツサラリーマンみたいだ。そんな働き方をしていたら、遅かれ早かれ体を壊しますよ」と言われたことをまだはっきり覚えている。たしかにそんな働き方をしていた。「24時間は戦えないんですよ」と言われたこともある。私としてはただの「一生懸命」のつもりだったのだけれど、きっとはたから見たらまったく違ったのだろう。そして、それがもとになって体を壊したことで、いつしか私はどうやって働いたらいいのかわからなくなっていたのかもしれない。
 『クウネル』やら『天然生活』やらを見ていると、朝から晩まで会社であくせく働いている人なんかはあまりいなくて、湘南やら那須やら、都心からすこし離れた郊外に住んで、自分でものをつくったりお店をやったりしている人たちが出ていることが多い。そろそろスローな生活をしようよ、という、声高ではないけれど強いメッセージ。私だって『クウネル』も『天然生活』も好きだけれど、でもだからといってみんながみんなそんなライフスタイルで暮らせるわけではないのだ。そういう生活をしたい人は、もちろんすればいい。自分のペースで、自分だけで仕事ができる人は、そうすればいい。でも、私はそうじゃないのだ。何か強烈にものづくりをしたい、と思っているわけでもなく、お店をやりたいわけでも起業したいわけでもない。
 いろんなものを見すぎて、いろんな人の意見に踊らされて、いいと思い込んでいたのかもしれない。でも、私は結局ずっと会社員として働くのだろうし、それが自分にいちばん合っていると思う。自分でお店をやったり起業したりすることは、およそ私の器ではないのだ。同様に、「ゆるく仕事をして、会社はお金をもらう場と割り切る」ことも、私にはできなさそうだ。どうしたって仕事は一生懸命やりたいし、お金も欲しいけれどやりがいがないと仕事はできない。他人からは「髪振り乱して肩肘張っちゃって」、なんて思われるかもしれないけれど、私はそれ以外のやり方を知らないし、できないのだ。夫が理解してくれれば、それでいい。私と仲良くしてくれている友達は、あきれながらも「ハルナっぽいねえ」と笑ってくれるだろう。
 ずっと、ライトに軽やかに生きているように見える人がうらやましかったし、自分もそうなりたいと思っていた。だけど、私は違うんだ。それは認めなきゃ。ぶざまでも不器用でも不恰好でも、泥くさく一生懸命やるしかない。