常識と非常識

 通勤時のバスの中で、ちょっとなー、と思う光景を見た。途中のバス停から乗り込んできた、キャリーケースを引っ張った私と同じくらいの年代の女性、バス代がいくらかわからなくなったらしく、運転手さんに質問。質問すること自体はいいのだけれど、耳を疑ったのはその言葉遣い。「ここから駅までっていくらー?」と、座席に座ったまま、大声で、しかも語尾を引っ張ったタメ口。運転手さん、きちんと「××円です」と答える。その女性、「えー、そんなにかかるのー?」と文句を言う。運転手さん、ちょっとむっとした様子で「そうです」。女性、「たっかいなー。そんなにするんだったらタクシー乗ればよかったー」とぶつぶつ。うーん、こういうときはきちんと丁寧語なり敬語なりで相手に尋ねるものじゃないんでしょうかねえ。
 言葉遣いが悪い人も嫌だけれど、時間を守らない人、約束を守らない人も私は大嫌いだ。今度行くね、と言ったって来ないじゃないか。今度は気をつけるねって言ったって時間を守らないじゃないか。私が軽く見られているのかどんな人に対してもそうなのかはわからないけれど、そういう人には見切りをつける。学生時代に、私もばかだったのだけれど友達(だと思っていた人)に「来月必ず返すから」と言われて5万ほどお金を貸し、案の定戻ってこなくて悔やんだことがある。人にお金を貸すときはあげるつもりで、ということをはじめてそのとき学んだのだった。言葉だけの口約束をする人なんて、自分が思った以上にたくさんいるということ。
 どこに行っても非常識な人はいるものだけれど、今の営業所にも強烈すぎるほどすごい人がいる。たとえ自分がその立場になってしまったとしても、そういう振る舞いは絶対にしない、と言い切れるほど。「こんな人たちは見たことがないです」とその人は言っていたらしいけれど、その言葉そっくりそのままお返ししますよ、と言いたくなってしまう。新卒で勤めた会社にもすごい人がいたけれど、勝るとも劣らない。今までの営業所の問題児がかわいく見えるくらいだ。
 自分にとっての常識が世間の非常識、ということが多いということを、今の私は前よりは学んだと思う。けれど、見知らぬ人と話をするときは丁寧語、時間や約束はきちんと守ること、礼儀はきちんとすること、それくらいは当たり前、それこそ常識だと思うのだ。それすらできない人は出直してこい、と言いたい。