働くということ

 以前、実家で母の買っているクロワッサンの中にサイバラの記事があったのでじっくり読んだことがある(サイバラ、絵がうまいとはちっとも思わないけど、なんでだか好きなのです。「毎日かあさん」を読むのが楽しみ)。そのなかでサイバラが言っていて、私も深く納得したのは「専業主婦って自分の人生を他人任せにしていて、何かあったときに怖いと思わないのかな」という意味のこと。私が仕事をするのも、多分にこの理由があるなあと思っている。
 私は進学校の女子高で、まわりが大学に行くのがあたりまえのところだったから、自分も当然大学に行って、そのあとずっと働くのだ、という意識を持ってきた。特に家庭科の先生が、「これからは女性も一人前に働いていかないとだめよ」と力説していたのをすごくよく覚えている。母もずっと仕事を持って働いてきたし、それがあたりまえだと思っていたので、専業主婦という選択肢は、私にはありえない。結婚した当初、あまりにも働きすぎていたので3ヶ月くらいなにもせずにぐうたらしていたことはあるけれど、それもすぐ飽きた。私には向いていない。一日家のことをきちんとやって、ごはんもちゃんと作って、という人はすごいなあと思うけれど、私はできない。
 専業主婦を3ヶ月やってみてしんどかったのは、自分が社会と断絶しているように感じられたことと、自分でも働けるのに働かず、夫の稼いだお金を使うということが私にとってはひどく罪悪感にかられるということのふたつだった。今思えば、それまで毎日残業の嵐でいろんな人と顔を合わせていたのに、それがいきなり夫だけになったら範囲が狭まったと思うのは当然のことだったと思うし、働けるのにあえて働いていないという負い目のようなものもあった。私自身に関して言えば、別のストレスはたまるけれども、働いている方がずっと気が楽だ。夫にもし何かあったときでも、自分ひとりが暮らしていけるくらいは稼いでいなくちゃ、と思っている。夫が病気になって働けなくなったり、予定はないけれど離婚したり、万が一のことがあっても生活できるように。
 いろいろ考えるところも事情もあって、ここ1年くらいずーっと転職先を探しているのだけれど、自分がやってみたい仕事と自分にできる仕事にギャップがありすぎるということを痛感している。いったん会社に入って仕事をしてしまえばそれなりにこなす自信はあるのだけれど、まずそこまでもたどりつけないしなあ。地道に活動していくしかないとはいえ、やっぱり落ちるとへこむし。長い目で見てやっていかなきゃいけないんだけど、それも長期になるとだんだんしんどくなる。「もういっそ、他の人に『あんたはこれをやりなさい!』って決めてもらえたら楽なのにー」とか、血迷ったことまで思いはじめたりして。こういうときは基本に立ち返らなきゃいけないね。まだまだ先は見えないけど、がんばらなきゃ。