62年目の終戦記念日

 カテゴリ分けは、いずれそのうちに。


 私の母の誕生日は戸籍上では9月の終わりになっているけれど、実際は9月のはじめに生まれている。山形から遠く離れた場所で生まれ、山形に帰り着いた日が戸籍上の誕生日になっているのだ。母の生まれた場所は、昭和20年の、広島だ。祖父母は戦争中は満州にいたという。満州から引き上げ、山形に向かう途中の広島で母が生まれたのだ。当時の広島は、原爆を落とされた直後でひどい有様だったという。祖母の陣痛が始まってから、祖父はあちこち走り回って産婆さんを探したそうだ。まさか広島で子供を生むとは思わなかった、と祖母から聞いたことがある。


 母にとっても、そんなわけで広島はすこし特別な土地だったらしい。私が大学2年の秋に、広島に行くつもりなのだけれど一緒に行かないか、と言われて、母と2人で広島に向かった。もちろん、当時の面影はあるはずもない。高いビルが立ち並ぶ、開けた今の広島があるだけだった。ローカル線に乗って、母が生まれたというあたりも見に行った。原爆ドーム広島平和記念資料館も見に行き、目を背けたくなるような思いで資料を見てきた。けれど、母がどう思っていたのかはわからないが、私にとっては、原爆を落とされた場所ではあっても、母が生まれたところだという感覚は、正直言って湧いてこなかった。


 それでも、なぜか今年になって、広島に行かなければ、という思いが強い。母が生まれた場所だということは、そのまま私にとっても大事な場所。あるタレントが被爆3世としてテレビに出ていたけれど、それを言うなら、祖父母も母もある意味被爆者と言えるのかもしれない、とも思う。母と祖父母を通して、私と戦争がつながる。もういちど、きちんと自分の意思で広島に行こう、と思っている。