号泣のわけ

 たたみます。
 「西の魔女が死んだ」を観て、あんなに泣くとは正直自分でも意外だった。原作も読んだから展開も知っているし、読んだことのある文章が台詞になっているし、どうなるんだろう、という期待を持って観た映画ではなかったのだ。それなのにどうしてあんなに泣けたのかは、あのおばあちゃんが、自分の祖母と重なって見えたからだと思う。
 私の母方の祖母は、2年前の4月末に亡くなった。若いときから体が弱く、再生不良性貧血という難病に指定されている病気を抱えていた人だった。それでも、私にはとても優しかったし、手を上げられたことはもちろん、怒られた記憶さえない。いつもおだやかでにこにこしていて、手先の器用な人だった。私が小さいときは毎日きものを着て暮らし、よく浴衣や子供用のきものを仕立ててくれたし、書道の手ほどきをしてくれたのも、ピアノの練習が嫌で泣いたときになだめおだててくれたのも祖母だった。とにかく、いつも気にかけてもらい、愛されていたのだ、と今ならわかる。
 その祖母に対して、主人公のまいと同じように、私は悔やんでも悔やみきれないことをした。大学受験のとき、第1志望だった大学と、すべりどめにと受けた地元の大学どちらにも受かり、私は意気揚々と夕食の席で第1志望の大学に行くことを宣言した。行きたいところに受かったのだから、もちろんみんな喜んでくれると思っていたのだ。でもそこで反対したのが、祖母だった。せっかく地元に受かったのに、大学までは歩いても5分くらいなのに、そうしたらみんなで楽しく暮らせるのに、と、たしかそんなようなことを言ったのだと思う。親戚のおばちゃんたちだってそうしなさいって言ってるのよ、などと言われたことに対し、私は激昂した。どうしてよかったねって言ってくれないの、どうしてがんばっておいでって言ってくれないの、そういうふうにしか思えなかった。反論する私に対し、祖母はやっぱり地元にいてほしいと繰り返すばかり。私はとうとうたまらなくなり、テーブルから茶碗をたたき落とし、「おばあちゃんがなんと言おうと私は向こうに行くんだ! 私がやりたいことを認めてくれないおばあちゃんなんかともう口もききたくない!」と叫び、結局家を出るまでひとことも祖母とは口をきかなかったのだ。大学に行ってからも私の中のわだかまりは消えず、表面上は普通に話すけれどどこかで許していない、という状態が、かなり長い間続いた。あのときあんまりひどいことを言ってしまったんだ、と気づいたのはそのあとで、そのあとは歪んだ感情はなくなった。それでも面と向かって謝るのはなんだかきまりがわるい、という私の一方的な考えで、あのときの暴言に対して、私は結局謝らなかった。
 そして、謝れないまま、祖母はいなくなってしまった。
 後悔している、なんて言葉では足りないくらい後悔している。謝りたいけれど、祖母はもういない。あのときどんなに嫌な思いをさせ、祖母を傷つけてしまったのかと思うと悔やみきれない。謝れなかった自分がふがいない。あのときの自分を殴り飛ばしてでも謝りたいのに、もうそれはかなわない。
 今からでも届くなら謝りたい。おばあちゃん、ごめんなさい。
 でも、この後悔は、ずっと抱えていくしかないんだと思っている。