読了

 久しぶりに読んだカズオ・イシグロ、期待を裏切らない短編集。さまざまな楽器と音楽と人をめぐる5篇がどれも心地よい。淡々とした筆致、という印象があったのだけれど、「降っても晴れても」はコメディチックで、犬の臭いのところなんかは思わず吹き出してしまった。それでもさすがと言うべきなのは、感情の揺れや機微が手に取るようにこちらに伝わってくること。音楽を通して知り得たこと、音楽を通したからこそ離れていってしまった事柄や人たち、そのどれもがどこか切ない。全編を通して、カズオ・イシグロのメロディの中に浸った気がする。

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

 「このミス」大賞受賞作という触れ込みで読むならば、若干物足りないかなという印象。やはり中盤から先のあらすじは読めてしまうし、もうひとひねり欲しかったなあと思ってしまう。共感覚のことについてもほんのさわりしか触れられなかったし、もうちょっと掘り下げて欲しかった。司の側に立って一連の出来事を見てみたらどんなふうになるんだろう。次の作品を読んで判断したい。それと、編集サイドに一言、校正もれが多すぎる(元編集者としては許せないレベル)。
臨床真理 (このミス大賞受賞作)

臨床真理 (このミス大賞受賞作)

 ひとつひとつのエピソードが短くて物足りない、もっと深く書いてあるものが読みたいと思っていたら、巻末に新聞連載だったとの表記があったので短さにも納得。書くことが本業ではないせいかちょっと読みにくい気もするけれど、いろんな事件にいろんな法律が関わってくるのだなと実感する。この著者だったら、今芸能界を賑わせている薬物についてどういう文章を書くのだろうか。
検事はその時

検事はその時

 その人の生活にまつわる大事なものや考え方が書いてあるこういう本、一時期は手当たり次第に読んだり買ったりしていたけれど、今はそれほど読みたいとも思わない。何が大事かはその人によって違うし、ほかの人にとって正解のものが自分にも正解であるわけではない。こういうお店は好きだけれど、本としてはもうそんなに読まなくてもいいかなあ。 あいかわらずの高山さん節。仲がいい人というのはだいたいどこか似通っているものだけれど、この本に登場する人たちも高山さんとなんとなく同じにおいがする。一緒にごはんを食べるということは人と仲良くなるための第一歩だし、仲を深めるためにも有効な手段。ごはんを食べるという本能的なところ見せ合うからこそ聞ける話もあるのかな、と思った。
たべる しゃべる

たべる しゃべる

 出産現場はこんなにひどいことになっているのだろうか。私自身はまだ子どもがいないし、県庁所在地に住んでいるので病院もそれなりにあり、まわりでも出産に困ったという話は聞いたことがないのだけれど、これが本当に起こっていることなのだとしたら恐ろしい。出生率低下を嘆く前にやることがあるのではないかと思ってしまう。自分ができることは何かないのだろうか。
産声が消えていく

産声が消えていく

 ししゃもで町おこしを考える、というのはおもしろい主題だと思うのだけれど、こんなに関わっている人たちの考え方がばらばらすぎてもプロジェクトとしてやっていけるのだろうか。コンセンサスがとれていれば、この本に書いてあるトラブルなんて未然に防げることもあると思うのだけれど、そういうところに突っ込みを入れてしまうのは無粋というものだろうか。リアリティはあまりないけれど、さらっとは読める。
ししゃも

ししゃも

 うーん、グロいのがだめな人はしょっぱなからだめそうだなー。読者を選ぶ作品かもしれない。私はわりと大丈夫なほうで、かえってそれがぐいぐい読ませてくれたけれども、途中から明らかにペースダウンといった感じ。いろいろな要素を詰め込みすぎて、ばらけてしまった印象が残る。主人公に対してもいなくなった真弓に対しても、文章がときどきぶれるので、ん?と思うところもあった。オカルトならオカルト、スピリチュアルならスピリチュアル、医学なら医学と的を絞ったほうがよかった気がする。
霊眼

霊眼

 はじめて読んだ作家。ぱらぱらと中身を立ち読んでみて借りたけれど、これが大正解だった。淡々とした筆致なのにずしんと来るのはこの人の文章の上手さなのだろうなと思う。娘ならではの親に対する気遣いと優しい嘘、親の必死さと突っ張った感情。私には子どもがいないけれど、どちらの気持ちもわかる気がする。ミミが言葉を発したところは本当に涙ぐんでしまったほど。他の作品も読んでみたい。
声を聴かせて

声を聴かせて

 ピクトさん、体を張ってがんばってるんだなあ。爆笑必至なので、立ち読みはおすすめしません。それまであまり意識しなかったピクトさんを、この本を見てからは意識して目で追うようになるのが自分でも可笑しい。
ピクトさんの本

ピクトさんの本

 純真無垢、という言葉が真っ先に浮かんだ。そもそも20歳前の莉絵が14歳の耕太を引き取って一緒に暮らし、その子の道を拓いていくなんていうことは可能なのか? などと言い出したらきりがないのかもしれないが、若干リアリティに欠ける気も。ただ、それを差し引いても耕太の純粋な心と本心からの言葉は、耕太を救うつもりでいた莉絵を、逆に救うことになる。他の作品も読んでみよう。
世界が終わる夜に奏でられる音楽

世界が終わる夜に奏でられる音楽

 自分やまわりの環境が変わっていくことは、誰にも止められない。変わらないでいることは難しいし、変わっていくことこそが本質なのかもしれない。でも、どんなに自分が変わったとしても、自分の好きな本はいつも変わらずにそこにあって、ページを開きさえすれば、その本を読んだときの自分に戻れるのだということ。堀江さんの文章は相変わらず静謐で、波立っていた気持ちも静かになっていくのがわかる。自分の好きな本へのラブレターのような本。そして、私は自分の立ち位置を確かめるために、本を買ったり読んだりするのかもしれないと思った。
彼女のいる背表紙

彼女のいる背表紙

 いろいろな引き出しをもった作家だな、と読むたびに思う。『閉鎖病棟』や『エンブリオ』のような作品もあれば、この作品のようにどこまでも優しさで満ちているものもある。医療といわれれば「最先端の」などという形容詞をつけたくなってしまうけれど、この本の医療に対する形容詞は「あたたかい」とか「実直な」だと思う。
風花病棟

風花病棟

 再読。谷中でアンティークのきもの屋を営む栞と、お客さんとして出会った春一郎との話。小川さんとは同郷ということもあり、この文章はきっと実家近くのあの辺りを思い浮かべながら書いたんじゃないかと思う文章がいくつかあった。相も変わらず食べ物の記述がおいしそう。この本を片手に谷中巡りをしたらおもしろいだろうし、この本に出てくる食べ物をぜんぶ食べてみたい。不倫の話ではあるけれど、どろどろした部分を見ずにきらきらしたところを掬い上げたファンタジー。きものを着たくなった。
喋々喃々

喋々喃々